アダルトチルドレンが人と一緒にいるとしんどくなる理由
人と一緒にいるとしんどくなる
アダルトチルドレンは、
繊細でいろんなことを感じる力が高い方が多いです。
「この人これが欲しいんやわ。」
「さみしそうやから、遊んでほしいんやわ。」
自分の気持ちよりも他人の気持ちの方がわかり、
自分の気持ちがわからなくなる。
さらに、「相手の気持ちに応えなくてはいけない」と、
自分の気持ちよりも他人の気持ちを優先してしまう。
その結果人と一緒にいると、
自分がわからなくなり
どんどん苦痛になる。
どうしたら人と一緒にいても楽になれるの?
大切なのは、
人の気持ちがわかることと、
相手の期待に応えることは別だと理解することです。
いくら相手が「さみしそうやから遊んでほしい」
と思っていても、
相手と遊ぶかどうかはあなたしだいなのです。
相手があなたに期待することは相手の問題で、
その期待にあなたが応えることは
あなたの問題なのです。
わたしも以前は相手の期待に応えなくては!
と自分をしんどくさせていましたことがあります。
その時に感動した「ゲシュタルトの祈り」という言葉を紹介します。
Ich lebe mein Leben und du lebst dein Leben.
私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。
Ich bin nicht auf dieser Welt, um deinen Erwartungen zu entsprechen –
私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。
und du bist nicht auf dieser Welt, um meinen Erwartungen zu entsprechen.
そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。
ICH BIN ich und DU BIST du –
私は私。あなたはあなた。
und wenn wir uns zufallig treffen und finden, dann ist das schön,
でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。
wenn nicht, dann ist auch das gut so.
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。
(ゲシュタルトの祈り)
わたしは、泣きました!
幼いわたしは、
「親の期待に応えないと、この世にいられない」
と信じていました。
「親の期待の応えないといけない」
「応えないとここにいられない怖さ」
「なんで期待するの?」
といういらだちが抜けていったら、
このゲシュタルトの祈りが
「真実である」
と腑に落ちるようになります。
「わたしはわたし」「あなたはあなた」
この境界線ができてくると、
人と一緒にいることがもっと楽で、
もっと楽しくなるのです。