共依存が問題になる時 なにが起こっているのか?

依存について、
する方とされる方は表裏一体という話を書きました。

依存する側の話

依存される側の話

どちらも「見捨てられ不安」が根底にあって、
見捨てられないように期待に応えようと、
コントロールが働くことが根本原因になります。

依存する側も 依存される側も、
「見捨てられ不安」を緩めていくということが解決につながるのです。

ここで、「みすてられ不安」という同じものから

「依存する」「依存される」という逆の反応がでるのはなぜなのでしょうか?

実は「見捨てられ不安」に関する反応として、
絶望的決断反抗的決断という真逆の反応があるのです。

「見捨てられ不安」について絶望的決断をすると、
「わたしは人と親密になれば見捨てられるかもしれない」という不安を
ストレートに抱えて生きていきます。
こうなるとその不安を紛らわせるために、
誰かに依存的になっていくのです。

 

逆に
「見捨てられ不安」について反抗的決断をすると、
「わたしは人に見捨てられるのなんかこわくない」
自分の不安に反抗的にふるまいます。

このように自分の中に不安がある人は、

その不安を抑圧していると
不安をストレートに表現する人をみると、ざわざわします。

自分が抑圧しているものを目にすると人は反応してしまうのです。

なので、
見捨てられ不安で不安になっている人の不安を解決しようと、

過度に介入して助けようとしてしまいます。

不安に対して絶望的決断をしている人は、
反抗的決断をしている人をみるととても頼もしく見えますし、

反抗的決断をしている人は、
絶望的決断をしている人から頼りにされるととても嬉しいと感じます。

これが共依存の出来上がりです。

この状態は需要と供給が一致しているので、
特に問題があるとはいいません。

ただ、
反抗的決断をしている人は、
頼りにされないと困るので、
慕ってくれる人が自分から離れないように無意識にコントロールします。

この時に問題がでやすくなると思うのです。

 

依存する側依存される側、
共依存がしんどくなるのはこの時です。

この時、ついつい相手の問題を指摘したくなると思いますが、
まず、自分の見捨てられ不安を薄めていくことが根本解決につながっていくのです。

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